アフリカ竹取物語

ケニアで竹の研究をしている院生の記録

不便益という発想

先日、昼ごはんを買いに行った生協でこんな本を衝動買いした。

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不便益という発想~ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも 行き詰まりを感じているなら、 不便をとり入れてみてはどうですか?(しごとのわ) | 川上浩司 |本 | 通販 | Amazon

 

京都から新横浜へ行く新幹線の中で読んだ。タイトルは計算された上で長いものの、かなりサクッと読める、読みやすい本だった。

不便益という言葉は、生協で売られている京大の名物土産「素数ものさし」のおかげでなんとなく知っていた。私もネタ用土産で購入したことがあるが、それは素数ものさしの素材が竹だったからである。

素数ものさしを開発したのがこの本の筆者が所属する研究所であり、不便の中の利益を追求している。私としては、なんだかオモロイことを真剣に追求している・・・ように感じる。

 

本来、ものさしは長さ等を測るものである。しかし、筆者の所属する研究所ではこのように考えた。「簡単に測れるものさしは便利すぎる!頭を使っていない!」・・・よって誕生したのが、素数ものさしである。

この素数ものさしは、めもりは素数しか書かれていない。しかし頭を使って工夫をすれば素数から数字を導き出すことは可能であるという。

そして、この商品は京大生協で人気商品となった(確かに売り切れになっているのを見たことがある。)!というサクセスストーリーが本編に書かれていた。

 

私が疑問なのは、この素数ものさしは本当に不便益の目的のために購入されているかどうかということである。

確かに売れてはいるが、誰もがネタ用として購入しているのであれば本来の目的に合った「頭をつかう」という利用法はあまりされていないのではないだろうか。

第一に、京大内で素数ものさしを利用して勉強・研究をしている学生を見たことがない。皆、便利なものさしを利用している。その方が楽だからである。

つまり、日本で最も素数ものさしが購入されている京大内の学生が日常生活で素数ものさしを利用していないのだ。しかし、その他の利用として考えられることは日常生活外での利用である。例えば、脳トレや趣味である。

残念ながら、私はまだ趣味で素数ものさしを利用している学生に遭遇したことはない。以前素数ものさしの話を研究室で持ち出したところ「それ持ってますよ!」と意気揚々と机をガサゴソと漁り、かなり奥底からとりだした素数ものさしをドヤ顔で見せ付けてくる後輩がいただけだ。

 

あと、便利や不便に関係なく何故か素数が好きな人は多い気がする。

Image result for 素数を数えて落ち着くんだ

 

ただ便益と不便益の例としてかなり納得したのは本編の初版に挙げられていた「甘栗むいちゃいました」と「ねるねるねるね」の例である。

 

このどちらも同じ会社から発売されていることも知らなかったが、食べるときに便利である「甘栗むいちゃいました」と同様に「ねるねるねるねねっちゃいました」を販売しても買いたいとは思わない。

自分で作るのは手間がかかるけれど、それでも価値があるのが「ねるねるねるね」である。

ねるねるねるね」は不便であることが楽しいという発想商品だと気がついて、感動した。

 

 

さて、日本で生まれ育った私がケニアで暮らすと便利の功罪に悩まされることが多々ある。

例えば、鶏肉。協力隊のころ、ケニアで生きた鶏をもらうことがたまにあった。もちろん食用鶏である。私は鶏肉が好きだが最初は生きた鶏を捌くことに抵抗を感じた。

日本はコンビニへ行けばレジ前で暖かいチキンが売っていて、いつでも安定の味を楽しめる。便利である。しかし、その一方でそのチキンがどうやってレジ前に置かれたのかはわからない。いつか、日本のインフラに問題が起こってコンビニや鶏肉加工が運営されなくなったとき、楽に舌を肥やしてきた我々は弱い存在でしかないかもしれない。

ケニアの生活は日本と比べれば不便だが、生きる力はモリモリ養えるのは間違いない。

もちろん、いまの日本人が全員、ケニアの生活の術を学ばなきゃいけない・・・とは思わないけれど。

 

生きる力・・・というと実用的すぎる。もっと頭を柔らかくして、比べると不便だけどオモロイものを探していきたい。