アフリカ竹取物語

ケニアで竹の研究をしている院生の記録

ベトナム日本料理in Kenya  

 

ケニアに暮らしているベトナム人の友人Cさんがランチに招待をしてくれた。

Cさんの旦那さんはイギリス人で、ナイロビで働いている。

私は、去年の11月にナイロビ日本大使館のイベントで彼女と出会い、今年の3月の彼女がボランティアをしているチルドレンズホームへ遊びにいってきたのだ。

 

 

初めて行った彼女の家は、住民の8割が外国人であろう超高級マンションだった。

いや、肌の色が違う人種がナイロビで安全に生活をしようとしたら高級マンションが一般的である。

 

 

彼女はナイロビで購入したという蕎麦をご馳走してくれた。だしはベトナム風であっさりとしていて美味しかった。私は、Cさんのキッチンでだしまき卵を作った。

 

アジアの食事はアジア人の胃腸に優しい。ケニアへ来てから常にガスが溜まって苦しい状態のお腹が喜んでいた。

 

 

Cさんはチルドレンホームのボランティアでケニア人と上手く活動が出来なくてかなりストレスがたまっていた。

 

Cさんはチルドレンホームの空き時間に情操教育を促すために絵画の時間を設けることを提案したという。ケニア人の同僚も賛同してくれて、役割や準備すること等も決めたという。

しかし、実際にはCさんが一人で活動を展開することになっているという。さらには、同僚はボランティアのCさんに給料を出すように交渉。Cさんが「私は一生ナイロビに住むわけではないし、ボランティアだからお金は渡さない。みんなで絵画の時間を運営してほしい。」と話すと「(自分の)子供が小さいからお金が必要だ。子供が病気だ。」と訴えられたという。

Cさんは、そんな同僚に対して心底疲れていた。そして、子供がいればお金が必要になることは予測可能なのに、その日単位でお金を稼ごうとしたり、計画的でない(それが嘘であったとしても同情出来ない嘘)人生設計や、目的の見えないチルドレンホームの運営に困っていた。

 

なんだか協力隊時代を思い出す。私も、Cさんと同じだった。ひどいときは、植民地時代に白人が残した文献に記されているように現地人は知能が低いという文面はあながち間違っていないのではないか?と思った差月主義者的考えを持ってしまったこともある。その考え方は私のケニア人に対する愛想を悪くし、他人に会うことを拒絶する引きこもりに追い込んだ。

人間、ストレスに苦しめられると残酷になる。他人にも、自分にも。

 

ただ、今研究者という立場からケニア人の特性をみると人間として実に合理的な生き方をしていると感じることもある。例えば、アフリカという風土の中で生きている限り絶対的な未来は存在しない。アジアでは考えられない飢餓や病気が渦巻いており、かつては大陸の中には多様な部族が別々のコミュニティで暮らしており、部族間の衝突も珍しいことではなかった。現在でも、交通事故や病気で急に命が絶えることは決して珍しいことではない。

 

湿潤な大地で長きに渡って農耕を繰り返してきたアジア人からすると、三日坊主な就業態度や有言不実行な態度は信頼できないと思ってしまう。少なくとも私はそう思っていた。

 

私たちアジア人は、ケニアへ来て「もっと、こうすれば良いのに・・・」と思う点を見つけ出すことがよくある。でも、あくまでそれは「私たちの環境では」の話だ。

 

私たちにとって、ケニア人は信用できないように見えてしまう人がいるかもしれない、計画性のなさを感じてしまうかもしれない、もっとマクロで見ればエイズだって小児死亡率が高いことだって私たちにとっては問題として捉えられてしまうかもしれない。

 

でも、それはあくまで外部者が「問題」として捉えていることであって、ケニア人にとっては「日常」に過ぎないことだと思うことがある。その証拠に、人類が誕生してから人間はずっとこの地で生きているからだ。人間の目的は、GDPの向上でもなく、安定な収入を得ることでもない。生物としての人間の目的は命の存続だ。ケニア人はそれがしっかり出来ている。少子化の日本とは違って、みんな子沢山だ。

 

 

アフリカの大地で個人の未来に投資することはリスクの多様性から見て、リアリティが少ない可能性がある。部族コミュニティの中で生きてきた歴史を考えるとよそ者と信頼関係を築く必要性は低いのかもしれない。その一方で、短期的スパンを生き抜いて多くの子孫を残すことはよっぽどリアリティが高いことなのではないだろうか。

 

 

きっと人類存続のためにケニア人から私たちが学べることは沢山あるはずだと思う。

Cさんの絵画の時間が、この後どうなるのかはわからないが、Cさんも同僚も子供たちも全員が異なる価値観を持っているはずなので、どこか落としどころに落ち着くか・・・残念ながら活動そのものが消失するというのが行き着く先のような気がしてならない。(元協力隊の勘)

 

 

なんくるないさ

 

2017年6月14日